或る日。
或る日の放課後。
クレアール学園の閑散とした枯葉の舞う桜並木を二人は歩いていた。
「はいっ、約束のタルトだよー」
二人とは、相沢藍慈と燈宮游椰の事だ。
藍慈は嬉しそうに白いナフキンに包まれた物を游椰に差し出している。
「う、うん。これ……ほんとに……」
「絶対游椰ちゃんだって食べられるよー、だって枇杷だよ?!この時期取り寄せるの大変だったんだからっ」
果物のコンポートをサクサクタルト生地に乗せた果物タルトが藍慈の大好物だ。
ここいらのケーキ屋のタルトは食べつくしているんだー。
そう本人が云う位の果物タルト好きなのだが、相方、游椰はあまり果物を煮たものが好きではないのである。
そしてそんな游椰が食べられるタルトを探すことに勝手に決め、先日食べられそうなものを見つけた、と云っていたのだ。
その店でもたまたま手に入ったので作った数量限定品だったらしく、藍慈はそれを真似て自作したらしい。
で、その自作した枇杷タルトが今の白いナフキンに包まれているものなのである。
「で、でもやっぱ」
「そんなに甘くないし」
藍慈は強引に游椰の手の中にナフキンの結び目を握らせる。
「僕今から用事あるから、じゃ」
游椰は一緒に下校するつもりだったが、何か藍慈は慌しく何処かへと歩き去ろうとしている。
「何処行くんだ。用事なら僕も━━━━」
「恋文を戴いたんだ。だから断りに行って来る。はずかしーからっ、ついてきちゃダメ!……ダヨ?」
藍慈は最後にキメッとばかりに游椰の鼻先を指でつついて注意すると慌しく並木道の向こうへと走り出した。
━━━━んがっ。
それで、はいそうですかと正門へと歩いていける游椰ではない。
勿論こっそりとついて行った。
藍慈が歩いていったのは体育館の裏だ。
そこにはやはりクレ学というべきか美少年が待っている。
游椰は少し離れた木立に身を潜める。
藍慈は懐から白い封筒らしきものを取り出し何か云っている。
相手がその言葉の途中に割り込むように何か喚く。
藍慈が何か神経質そうに云い返す。
藍慈にしては珍しい険しい顔をしている。
相手が藍慈に何か叫ぶ。
そしてその手が彼の肩にかかる。
そのまま藍慈は後ずさり壁際に押し付けられていく。
その瞬間である。
困った顔の藍慈の背後に白い薄靄が現れたのである。
いや、それは次第にはっきりと人かたをとると、
キッ
と鬼のような怒気を含んだ恐ろしい顔で藍慈の肩を掴んだ相手を睨みつけている。
何だアレは?
人でも、たぶん魔物でもない。
それはよく見れば美しい女なのである。
白く長い足を膝辺りまで露にし下駄を履き着物を着て頭には簪で髪を纏め上げている。
着物の裾が短い意外は巫女のような装束だ。
そして何より游椰が驚いたのは━━━━、
藍慈にその女は良く似ていた。
藍慈はどこかぼんやりとしてたるんだというかどちらかというと可愛い系だが、その女はきりりと凛々しい。
それはたぶん藍慈にもはっきりと姿は見えていないだろうし(背後にいるということもあるが)、相手の方には気配しか
感じられていないだろう。
しかし効果は覿面だったようである。
相手はその女の怒気にあてられたのか藍慈を離すと封筒を彼の手からもぎ取って走ってどこかへと去ってしまった。
藍慈は両肩を腕で抱き少し震えている。
藍慈に駆け寄ろうか。
そう思いながら、游椰は何故か踵を返して走り出していた。
何処をどう走ったかよく覚えていない。
ただ気が付けば藍慈の家のインターホンのボタンを押し、今日は珍しく在宅だった彼の母に迎え入れられたのだ。
「こんなおばさんで良かったらお茶に付き合って」
藍慈の母はとても母親だ何て信じられない艶をもった顔でそう云うとリビングテーブルに游椰を付かせた。
藍慈の姉といっても通用しそうな彼の母はお茶を二つ用意して自分も游椰の向かいに座る。
「お茶持って藍慈の部屋で待ってもらってもいいのだけど、あなたも何か話したそうだし」
藍慈の母が云い、ツイッと仏壇のほうに視線を向けた。
一緒に游椰もそちらに視線を向ける。
「あなたの話があるのは、あの人のことかしら━━━━」
藍慈の母が、不意にツイと細い指で仏壇の上の壁に幾つかかけられた遺影の一つを指した。
若い━━━━少女と云ってよい年齢の━━━━。
何故、解ったのだろう。
それはあの女だ。
「そうなの?」
游椰の表情を確かめ、藍慈の母は笑って問うた。
「あの人は━━━━誰ですか」
「私の母━━━━藍慈の祖母よ」
今日もその事で祖母から電話があったから、そうかしらと思って、と藍慈母。
祖母━━━━?
游椰は一瞬絶句する。
藍慈にしてみれば曾祖母だ。
「山奥にいるとね━━━━時間はとても遅く動くのよ」
自分では気が付かないけれど━━━━と、藍慈母。
そういえば藍慈の生まれたのは山奥の廃寸前の過疎農村だと聞いたことがある。
藍慈の父も母も彼をそこで育てることを良いとは思わなかったので母は藍慈を連れて山を降りたのだそうだ。
結婚とか約束があると淋しくなるから。
そう云って離婚したからおかーさんは別におとーさんが嫌いじゃないんだよー、と藍慈が云っていたのを游椰は思い出す。
チラリと藍慈母の手を確認する。
やはり指輪を着けていた。
「すごく若い内にお亡くなりになられたんですね」
いらぬ詮索をしてしまう前に話を修正する。
「そうね、亡くなったと云うか、━━━━本当にあの人は天に召されてしまったのね。あなたの言葉を信じるなら」
すずっと藍慈母はお茶を飲む。
「天に━━━━?」
魔物でもなく、幽霊でもない━━━━。
ならあれは━━━━。
「或る日、ぱたりと山から帰らなかったの。山で遭難した。そう今ままで聞いていたけど今日、祖母が━━━━」
それは或る日、夜中によろよろと藍慈の祖母が山菜を持って帰宅したことから始まったらしい。
今までもんぺも履かず動き辛いからと着物を短く切って山へ入り暗くなる前には山菜を持って無傷で帰ってくる
その少女が夜中に帰宅したとあって曾祖母達は何かあったのかと問いただしたが道に迷っただけだ、疲れているからと
彼女は寝入ってしまった。
それからしばらくは何もなかったのだ。
それが発覚したのはもう産まれるかという時だったという。
腹が痛い、気分が悪い、と藍慈の祖母が訴えたので試しに村にいた最後の医者に見せ、初めて発覚したというから驚きだ。
少女は十代も半ばで妊娠していた。
曾祖母はあわてて産婆を呼んだそうである。
その時産まれたのが藍慈の母と、その姉、藍慈の伯母だそうだ。
不思議と回りは最近あの子は恰幅が良くなった位にしか思わなかったそうである。
周りの者は一斉に父親は誰だ何時出来たのだと問い詰めたが、知らぬ存ぜぬ、と絶対藍慈の祖母は口を割らなかったそうである。
そして周りは思い至ったのだ。
あの━━━━夜中によろよろと帰宅した日を。
行き会ったなんぞに暴行を受けたのだろう、本人が気にしないなら突付かぬほうが良い。
結局そういう結論に至ったようだ。
育児をしながら藍慈の母は相変わらずの身軽な格好で山へ入っていったそうだ。
それが或る日━━━━ぱたりと帰らなかった。
山中を村民で捜し歩き、村の側を流れる川や湖まで調べたが死体や遭難したであろう痕は見つからなかったそうだ。
話はそれで尽きず、数年後、五、六歳の子供が妙に上等な短い着物に黒下駄という姿で山から下りてきたのだ。
それを見つけた村人は一瞬、藍慈の祖母かと思い相沢の家へとつれていったのだそうである。
すると今まで一言も喋らなかった娘が、ここにはこれとこれという二人の娘がいるだろう、自分はその妹に当たる者である、母に云われ
一緒にここで生活したいがいけないか。
━━━━そう云ったそうだ。
これとこれ、それが藍慈の母と伯母である。
結局三人で姉妹として育てられたそうだ。
何より、その顔が藍慈の祖母によく似ていたそうだからだそうである。
「それで、天に召されたって━━━━」
游椰が問うと、藍慈の母は遺影を見つめて頷いた。
「うちの実家の山はね、まあお決まりの神話があって、神様を鎮めるのに美しく若い娘をささげていたのね。
まあそれで味を占めちゃったみたいで記録にいくつかあるのよ。山の神様は美しくて若い娘が行き倒れていると助けてくれるとか
━━━━そういう話がね」
藍慈の母は立ち上がって遺影の下に佇む。
「母は美しかったし若かったから━━━━山の神様に嫁として連れて行かれてしまったのよ━━━━って祖母が」
藍慈の祖母はある程度村の中で決まった期間を経て、遺品を焼いて遺骨とし死んだことになり埋葬されたそうである。
「母が死んだなんて、小さい私には解らなかった。何故お葬式をするのか解らなかった」
藍慈の母がポツリと云う。
不意に游椰は視線を感じそれに向き合う。
そこに遺影があった。
遺影の少女が目がにこりと一瞬笑った。
「ぇ……」
瞼をこすってもう一度見るがそれは笑ってなどいない。
本当にあの女は━━━━。
「おばさん、僕お線香あげてもいいですか」
「ええ、有難う。あ、私と藍慈の分もあげてくれる?」
「はい。失礼します」
游椰が仏壇の前に座って三本線香をあげていると
バタンッ
「ただいま━━━━あれ、おかーさんと游ちゃんいるの?」
あわただしい声と音がリビングへと近づいてくる。
「藍慈、おかえりなさい」
母が云う。
「游ちゃん━━━━家に来るなら正門で待っててくれても良かったんだヨ?」
「ん、いや、そういうのはずかしいだろ」
線香をあげ、蝋燭を手で煽ぎ消しつつ游椰。
「ああ、おかーさんお茶僕も飲むー」
藍慈はとても息を切らしている。
学校から駆けてきたのだろう。
「はい。藍慈」
母が茶をいれ藍慈に渡す。
「部屋、行こうか、游ちゃん」
あわただしい様子で藍慈が云いつつ游椰を仏壇の前から立ち上がらせる。
「今日ね━━━━お断りしたんだけど━━━━何かいろいろ云われてへこんじゃった」
自室に入った藍慈は僅かに瞼のふちに涙をたたえてそう云った。
あの、恋文突っ返しの現場のことなのだろう。
藍慈はいつもは積極的に甘えたりしないが、今は自分から游椰の腕の中に身を委ねている。
「ねぇ藍慈、制服の下だけ脱いでシない?」
游椰が云うと藍慈はポロリと涙を零しながらにこりと笑う。
「ぜったいっ、やだっ」
「絶対?」
「じゃあそれ、今ここで食べて」
藍慈は抱きしめられていた腕の中から顔を上げて、游椰に委ねたタルトを指差した。
「え━━━━それはっ」
「ダメ?食べてくれたら衣替えのときに洗濯に出す前に……その……しても……いい……ヨ」
どうしても食べてほしいのだろう。
游椰は覚悟を決めた。
包みを開く。
底の浅い白い皿にそれが乗せられラップがかけられている。
一見すると普通のタルトだ。
游椰はラップをとる。
そして手のひらサイズのそれを掴み取る。
体が震えた。
甘いものは好きだが、こういう物はあまり好きじゃない。
よし。
そう思った瞬間。
反対側から藍慈がパクリと食いついた。
「ああ美味しい。我ながら美味しい……ヨ」
自画自賛しつつも藍慈の瞳からは涙が毀れている。
その顔に、游椰は残りのタルトを無理やり一口で口に入れる。
咀嚼する。飲み込む。
「美味かったよ、藍」
本当は果物の食感がやっぱり好きではなかった。
でも確かに甘くはなかったのだ。
藍慈を抱きしめる。
「あのね……僕は游ちゃんにはふさわしくないって……そう……云われちゃった……えへへ」
大きなお世話だヨ━━━━云いつつ、藍慈は今日は抱きしめてさわさわと彼のヒップにセクハラをする手を払おうとしない。
そうか━━━━、と游椰は納得する。
あれは恋文ではなかったのだ。
批判文だったのだろう。
だからあんなにも藍慈は険しい顔をして━━━━。
「藍は僕のものだよ」
「うんっ」
藍慈も游椰を抱き返してくる。
「僕ちゃんとタルト食べたから、約束だよ?」
何も知らなかった。
そういうことにして游椰は茶化した。
「わか……った……ヨ」
藍慈ははずかしそうに頬を膨らませた。
それは或る日━━━━、又一つ游椰は藍慈の謎を解明したのである?
END
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